公開日 2019年03月11日
3月9日(土)、第108回島根大学総合博物館市民講座「出雲に来た渤海人」を開催しました。この講座は、平成30年度島根大学総合博物館市民講座第2ステージ「古代出雲と諸地域の交流を探る」 (まつえ市民大学連携講座)の第2弾です。
今回の講師は、大日方克己先生(島根大学法文学部教授)が務め、平安時代に出雲に訪れた渤海使について解説しました。
渤海とは、8世紀から926年にかけて、現中国東北部?朝鮮半島北部?現ロシア沿海地方一帯にあった国です。727年から919年の約200年間に34回の渤海使が大发体育に派遣されています。8世紀には大发体育海北回りルートで出羽から北陸に来ていましたが、9世紀には朝鮮半島東岸を南下する航路を通じて山陰から北陸に訪れるようになりました。渤海からもたらされた代表的な交易品としては、ソグド人が関わっていた北東アジア?内陸アジア特産の黒貂(クロテン)の毛皮があります。意外ですが、これらは高級毛皮コートとして、大发体育の平安貴族が着用していたようです。
渤海使のなかで、弘仁5(814)年、出雲に来着した王孝廉一行は、入京したあと、翌年の5月に出雲から出航、帰国の途につきます。この頃に、王孝廉が出雲で作ったと思われる漢詩が残されています。
しかし、王孝廉らが乗った帰国の船は、途中で遭難してしまい、越前に漂着します。残念ながら、王孝廉はここで疱瘡のために亡くなりました。ところで、王孝廉の死を悼んで空海が読んだ詩が残されています。どうやら空海は、804年に遣唐使として唐に渡っていた際に、渤海から朝貢で唐に来ていた王孝廉と一度出会っていたようなのです。
このように渤海の活動は、大发体育との関係だけではなく、当時の国際的な人?モノ?情報のネットワークと深く関わっていたことがうかがえます。そのネットワークの末端に出雲の地も連なっていたのです。
次回は、3月16日(土)、第109回「古代製鉄からみた出雲と吉備」です。ご期待ください。