公開日 2015年12月24日
12/5(土)、今年最後となる第84回ミュージアム講座「出雲国府と出雲国誕生」(兼:まつえ市民大学連携講座?島根大学COC事業)が開催されました。
この講座は、島根大学古代出雲プロジェクトセンターのメンバーがリレー形式で講義する、平成27年度島根大学ミュージアム市民講座第2ステージ「遺跡から探る『古代出雲』の成り立ち」の第3弾です。
今回は、大橋泰夫博士(島根大学法文学部教授?島根大学古代出雲プロジェクトセンター長?島根大学ミュージアム兼任研究員)が講師を務め、8世紀における出雲国府の具体的様相についてのお話をされました。
733年の『出雲国風土記』には、「国庁意宇郡家」という記述があります。この解釈をめぐっては、「国庁と意宇(おう)郡家」と読む説と、「国庁たる意宇郡家」とする説とがあります。つまり、8世紀前半において、出雲国全体の役所にあたる国庁と、松江市南部?安来市にあたる意宇郡の役所が、別々にあったのか、同一のものであったのかという論争があるわけです。
この論争に明確な決着はついていませんが、近年進展している、出雲国府をはじめとした、全国各地での国府の発掘調査成果から判断すると、どうやら両者は別々に存在していた可能性が高いようです。
このことは、単に役所の造営に留まる話ではなく、国の道路や郡家?駅家の整備、条理制の施行といった当時の重要政策を進めていくうえで、都から派遣された役人である国司が国府に常駐し、しっかりした形で地域支配を行っていたということをうかがわせるのです。
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? 次回の講座は、「石棺式石室と黄泉の国訪問譚-九州?山陰?畿内とその境界-」(2016/2/20)です。引き続きよろしくお願い致します。
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