公開日 2014年12月25日
12月20日(土)、大阪市北区西天満の島根ビルディングにて、第2回「島根大学ミュージアム特別講座 in 大阪」を開催しました。この特別講座は、平成27年3月8日(日)に大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で開催される「古代出雲文化フォーラムIII」のプレフォーラムになります。塩飽邦憲理事の挨拶のあと、今回は、古墳時代に関する2本の講演を行いました。
まず1本目は、島根大学法文学部の岩本崇先生から、「古墳時代銅鏡の授受からみた倭王権と出雲?伯耆」というテーマでお話をしていただきました。古墳時代前期(3世紀後半から4世紀頃)、畿内王権から列島各地に、「三角縁神獣鏡」という縁の断面が三角形の鏡が配布されます。一般に、これは、畿内王権の政治的な勢力範囲の広がりを示す現象であると捉えられています。三角縁神獣鏡は、出雲や伯耆など、山陰地域の古墳からも出土することから、その背景として畿内王権との政治的関係が想定されています。しかし、一方で、山陰地域の前期古墳は、方墳や前方後方墳が多く、畿内にみられるような前方後円墳とは異なった独自性を示していることが特徴のようです。
つづいて2本目は、島根県教育委員会の角田徳幸先生から、「横穴式石室にみる古墳時代後期の地域関係~九州?山陰?近畿」というテーマでお話をしていただきました。特に古墳時代後期(6世紀頃)になると、古墳の墳丘の中に横穴式の出入口をもつ横穴式石室が作られるようになります。横穴式石室の形態は地域によって特色があり、出雲地域では、肥後の石室と類似したタイプが流行します。当時、出雲と肥後との間に、何らかの地域間交流があったようです。
古墳時代というと、畿内王権を中央として、一元的に古墳文化が波及したように捉えられがちですが、以上の2本の講演からは、地域の独自性や畿内以外の諸地域同士の交流が多くみられることが分かります。このことは、当時の古墳文化のすべてが、必ずしも畿内を中心?中央として、他地域を周辺?地方とするような構造ではなかったことを物語っているのではないでしょうか。
満員となった会場では、受講者の皆様が、大変熱心に聴講しておられました。今回の講演を通して、出雲?伯耆地域の遺跡について興味関心をもっていただけたと思います。これを機会にぜひ、大阪の皆様にも島根県?鳥取県に足を運んでいただければ幸いです。
なお、本講座の開催にあたっては、島根県大阪事務所より多大なご協力をいただきました。改めて御礼申し上げます。
会場となった島根ビルディング(大阪市北区)
岩本崇准教授の講演の様子
角田徳幸先生の講演の様子